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国文学科のトピックス
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実地見学踏査で葛城山と一言主神社、鴨都波神社(御所市)を歩く

1月26日(日)、授業「実地見学踏査」で葛城山など御所市を歩きました。

「葛城」は現在、カツラギと読みますが、古事記・日本書紀では「カヅラキ」とよんでいました。

葛城山は奈良県と大阪府の境に連なる葛城連山の総称。

現在の葛城山(959メートル)のみを古代は言ったのではなく、南の金剛山(1115メートル)二上山などの山が含まれているとされます。

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葛城山の頂上からは、大和三山(香具山、耳成山、畝傍山)が良く見えます。

「倭は 国のまほろば たたなづく青垣 山ごもれる 倭しうるはし」とヤマトタケルがうたいますが、

まさにその景色が広がっています。

万葉集の歌に次のようによまれています。

・春柳 葛城山に 立つ雲の 

 立ちても居ても 妹(いも)をしそ思ふ 巻11・2453番歌

訳)(春柳)葛城山に立つ雲のように...立っても座っていても、いつもいつも、あの子のことを思ってしまう。


※「春柳」は葛城にかかる枕詞。春柳をかづらにするところから、葛城にかかるとされ、その枕詞を含んで、初句、二句の「春柳葛城山の立つ雲」までが、「立ちて」を引き出す序詞となっています。

恋しい思い歌う場合の類型的な歌です。

葛城山はなんといっても一言主神の伝承が有名です。

古事記の一言主神の話は次のとおり。

雄略天皇が葛城山に登りった時に、向いの山の裾から、天皇の行幸の列にそっくりな人たちとでくわします。そこで、天皇が「この倭の国に、私の他に王はいないのに、今誰がこのようにして行くのか」と尋ねたところ、同じ言葉を返すのみ。そこで、天皇は大いに怒って矢を弓につがえ、臣下の人たちもみな矢をつがえて構えると、向こうの人々も同じくみな矢をつがえて構えます。それで、天皇は「そちらの名を名乗れ。互いに名を名乗ってから矢を放とう」と相手の名を尋ねます。これに対し、「私が先に問われたので、まず私から名乗りをしよう。私は悪い事でも一言、善い事でも一言のもとにきっぱり言いはなつ神、葛城之一言主神である」と言うのです。天皇はこれを聞いて恐れ畏まり、「恐れ多いことです、我が大神よ。私は人間なので、あなたが神であることに気づきませんでした」とその神に申して、刀と弓矢をはじめとして、臣下の人たちが着ていた衣服を脱がせ、拝礼して献上します。すると、その一言主神は喜んで、その贈り物を受け取り、天皇がお帰りになる時、長谷の山の入り口(雄略天皇の宮があった場所。泊瀬朝倉)までお送りした。

(なお日本書紀は少し話が異なります...。奈良時代になると役行者に呪縛され使役されてしまう存在として描かれます。)

人の前に姿をあらわし、言葉を発する神は一言主神くらい。

そんな一言主神の歓迎か、葛城山の山頂で雪が降りました。

雪が降らない地域出身の学生に、雪を見せることができたのでおそらく一言主神の歓迎だと思います。

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葛城山をあとにし、一言主神社を参拝。万葉歌碑や松尾芭蕉の句碑を説明。

また鴨都波神社で解説し、最後に「かりんとうまんじゅう」をみんなで食べました。

奈良は「日本はじまりの地」であり、神話や万葉集など文学の故地を多くの今に伝えています。

実地見学踏査では、奈良各地を歩き、そこで文学や歴史の解説をしたりします。

「奈良」が教材なのです。

また、その土地の名物を食べ、奈良を体験する授業を展開しています。

2024年度訪れたのは次のとおり。

4月 21日(日)平城宮跡散策   
5月 26日(日)明日香散策 
6月 2日(日)春日野散策 
6月 23日(日)長谷寺散策
7月 21日(日)大阪歴史博物館見学
8月 4日(日)橿原神宮・橿原考古学研究所附属博物館見学 
9月 21日(土)石上神宮散策
10月20日(日)當麻寺散策
11月  2日(土)藤原宮跡散策 
11月24日(日)若草山登山
12月15日(日)大神神社散策

1月26日(日)葛城山、一言主神社散策

この他に、采女祭り、若宮おん祭り、正倉院展、若草山焼きなど個別に見学、体験を推奨しています。

機会があれば、みなさんもぜひ。(担当:鈴木)

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